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大学の語源(その46)、伊豆諸島の「ベヨネース列岩」に噴火警報! そこで、この語源について調べてみた・・・
 
 今年3月24日、気象庁から、伊豆諸島の「ベヨネース列岩」に噴火警報
 が出されたと発表された。

 「ベヨネース列岩」とは、どういう意味なんだろう?

 英語に「ベヨネース」に当たる単語はないし、何語なんだろう?

 そこで、「ウィキペディア」を検索してみた。

 「ベヨネース列岩」に以下のような記事が書かれている。

 「1846年にフランス海軍のコルベット「J・R・バイヨネーズ」が発見、
 これが語源となった」

 これでは、語源説明としては不十分で、よく理解できない。

 『Le Dico(ルディコ)』という白水社から出ている仏和辞典を引いてみた。

 「バイヨネーズ」というのは、フランスの地名「Bayonne(バイヨンヌ」に
 由来すると想像した。

 「フランス南西部の河港都市」と出ている。

 さらに『世界大百科事典』(平凡社)の「世界地図」で確認すると、

 南北に走るフランス西岸と東西に伸びるスペイン北岸が90度にまじる
 つけ根、ピレネー山脈沿いに流れてビスケー湾に注ぐポー川の河口に、
 「Bayonne(バイヨンヌ)」が見つかった。

 ここで建造され、太平洋への冒険に出たのがフランス海軍のコルベット軍艦
 「J・R・バイヨネーズ」だったような気がする。

 「J・R」は不明であるが、「バイヨネーズ」は「Bayonnaise」で、
 一般的には、「バイヨン人」を意味する女性形である。

 コルベットは、「Corvette(コルベット)」で、「三本マストの帆船軍艦」。

 この単語が女性形であるために、「バイヨン人」も女性形になっている。

 フランスのバイヨンヌ近郊のバスク人が多く乗り込んでいる軍艦が
 「伊豆諸島の青ヶ島」の南約50キロの海域で、「列岩」を発見し、
 これに自分の名前をつけた。それが1846年、弘化三年だったのである。
 「弘化」とは、天保の後、ペルー提督が来航した嘉永の前の年号である。

 最初の名前は、「Roches Bayonnaise(ロシュ・バイヨネーズ)=
 バイヨン人の岩」だったのではないだろうか?

 それが英語化されて、地図上に記載され、日本領とされた後、
 「ベヨネース列岩」と呼称するようになった。

 フランス語風ではなく、英語風に変えたのである。

 この南約200キロの海域にあるのが小笠原諸島の父島で、その西約135キロ
 にあるのが、ふたたび噴火を始めた「西之島」である。

 「西之島」の面積が大きなるという楽しみのほかに、伊豆諸島と小笠原諸島を
 つなぐ海域に大きな「ベヨネース島」が誕生するという期待も生まれている。

 日本って、小さい国だと思っていたけど、案外大きいんだよね! 特に海は!

 

 

 

 
author:ぷるの飼い主, category:U-Uiversityの語源, 11:02
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大学の語源(その44)、最近よく耳にする「忖度(そんたく)」の語源は「孟子」!
 
 最近、国会における籠池氏の証人喚問から「忖度(そんたく)」という言葉が
 マスコミをにぎわせている。

 それに関し、日本外国特派員協会での記者会見に臨んだ籠池氏を横にして、
 外国人女性通訳がこう説明した。

 「欧米語には対応する適切な訳語がない日本語です。強いて訳すとすると、
 read between the lines(リード・ビトウィーン・ザ・ラインズ=行間を読む)
 かしら?!」

 この中には、2つの間違いがある。

 そのひとつは、「日本語ではあるもののの語源は中国の古い言葉であること」!

 『漢語林』(大修館書店)という漢和辞典によると、

 「忖度(そんたく) 他人の心をおしはかる。推測」

 と出ていて、語源の説明はこうある。

 「〔孟子、梁恵王上〕詩に云う、他人に心あり、われはこれを忖度す、と」

 忖度の「忖(ソン)」は、「立身偏(りっしんべん)に「寸」だから、
 他人の脈をはかり、心臓の動悸や不整脈のあらわれを診る」ことを意味する。

 「忖度の「度(たく)」もまた、「メモリ、推し量る」という意味である。

 そこから、「忖度(そんたく)」は、「感情の起伏、強い思い、要求」など、
 「他人の心の強さや働き」を推測する意味になったようである。

 もうひとつの間違いは、「read between the lines(リード・ビトウィーン・
 ザ・ラインズ=行間を読む)」という訳語が近いとしたこと。

 しかし、これは、『ニューコレッジ英和辞典』(研究社)には、

「(本には直接的な説明や表現はないが)行と行の間の言外の意味を読み取る」

 と出ている。つまり、「心を読むのではなく、本の行間を読む」のである。

 つまり、「文字に書かれた資料は存在する」ことになる。

 ところが、read(リード)には、同辞書によると、

「(顔・表情などから)人の心や考えを読み取る」のいう意味がある。

 つまり、「忖度」を英語に訳すなら、

 「read the mind on one's face(リード・ザ・マインド・
 オン・ワンズ・フェイス=顔に浮かんだ表情から心の働きを読み取る」

 でよかったということになる。

 または、単に「guess(ゲス)=推測する」でもいいのではないだろうか。

 あまり難しく考えると、事件を迷宮に追い込むことがある。

 この問題の本丸がどこにあるかをよく見定めて、
 枝葉末節にとらわれないことだ!

 





 

 

  
author:ぷるの飼い主, category:U-Uiversityの語源, 11:11
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大学の語源(その43)、2月4日放映のNHKBSプレミア『英雄たちの選択』、「幻のノーベル賞候補! 細菌学者・北里柴三郎」のまことに残念なまとめ方・・・
 
 今日、久しぶりに更新します!

 標題のNHKBSプレミアの『英雄たちの選択』、
 「幻のノーベル賞候補! 細菌学者・北里柴三郎」を見て、がっかりしたからです。

 まあなんと、残念なまとめ方になっておりました・・・

 日本人学者特有の「心の観念論」に陥って、「出演の各評論家が美しく
 まとめようとしすぎるあまり、大事な歴史的事実」を見逃していました。

 最大の問題設定は、「北里柴三郎は、伝染病研究所が内務省所管から文部省
 所管に移った時、彼は文部省所管研究所に残ったか、民間に下ったか」・・・

 5人のうち、「お金がないから文部省所管研究所に残った」が、半分・・・

 「文部省所管だと東大の傘下になり自由がなくなるから出た」が、半分。

 僕の考えた正解は「お金が入る上に、自由に研究できるから、民に出た」!

 大正3(1914)年10月7日、北里柴三郎は、
 「馬を飼い、研究に頑張りたい」と意思表示し、民間に下ります。

 ところが、その時代背景の分析が重要で、全員の評論家はそれを見逃しました。

 実は、日本陸軍は9月1日、中国の山東半島に上陸し、ドイツ軍の青島要塞を
 包囲・陥落させるべく状況にあり、10月7日は、青島陥落の1ヵ月前でした。

 ですから、北里柴三郎は、自分が製造した「破傷風の血清」が飛ぶように売れる
 ということを確信していたのです。

 「破傷風」は平時でもケガからかかる病気ですが、戦場で多くの死者が出る
 こわい病気なのです。

 第一次世界大戦で、ドイツは敵側にまわりました。ということは、ドイツの
 ベーリングという医科学者(第1回ノーベル医学賞受賞者)の開発した血清
 療法は使えないということです。ノーベル賞受賞を逃した北里柴三郎は、
 自分の優れた血清療法を世界に広めようと考え、民間の「北里研究所」を
 設立したわけです。

 弟子たちもほとんどみな、「北里研究所」に移りました。

 多くの弟子や研究所職員を食わせられたというのは、「多額のお金」が
 入ったし、それを支援する民間人も多かったということです。

 優秀な弟子は、文部省所管の研究所を辞める前に「ジフテリアの血清療法」
 などの特許申請をしてから、恩師北里柴三郎のもとに走ったそうです・・・

 以上のことから、北里柴三郎は戦争によって破傷風やその他の伝染病の血清が
 飛ぶように売れる。もし残れば、その売り上げは文部省に吸収されるだろう。
 それなら、そこを出て民間の「北里研究所」を設立し、自由な雰囲気のもと、
 これからますます医学の発展に貢献しようと考えたに、違いありません!

 北里柴三郎の「馬を飼う」というのは、「馬を飼って、馬の血液で破傷風菌を
 培養し、それを血清化して、第一次世界大戦の戦場に運ぶ」ということだった!

 司会者の磯田道史さんは、なかなかの歴史学者ですが、
 ちょっとお忙しいのでは?! 巨視的なモノの見方はいいのですが、
 ズバリと核心をつくことが少なくなって来た・・・

 どうも、まとめ方を美しくしようとするあまり、大事なポイントを見逃して
 いるような気がします。

 是非とも、頑張って下さい!

 

 

  

 
author:ぷるの飼い主, category:U-Uiversityの語源, 21:53
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大学の語源(その42)、12月3日放映のNHK『昭和の選択』の「核心をつけない」もどかしさ・・・・・・
 
 今日12月3日放映のNHK「昭和の選択」を観た・・・

 これまでやって来た「英雄たちの選択」を受け継ぐものである・・・

 しかし、「あの戦争」に引きずって行った人々を「英雄たち」とも呼べなかった
 のか、「昭和の選択」とし、「英雄たち」という言葉を使っていない・・・

 新聞のサブタイトルは、次のようになっている・・・

 「誤算の三国同盟!! ヒトラーとなぜ結んだ!? 
 戦争への扉が開かれた真相とは」

 これは、拙著『なぜ日本人は、あの戦争を始めたのか』という本と同じである。

 そのため、かなり真剣に観たが、

 討議の内容は一言で言って「堂に入るも、室に入らず」という感じだった。

 みなさん、かなり綿密に調べて発言しているのであるが、自己撞着している
 ことに気がついていないため、核心に踏み込めなかったという印象だ!

 最初に発言したことと、後から発言したことが矛盾していることに気が
 つかないから、「なぜあの戦争を始めたか」というテーマが解けなかったのだ。

 京都大学の「メディア論」の先生が昭和40年発行の文藝春秋の読者調査で
 三分の2が「アメリカに強硬であるべきだ」、三分の1が「強硬ではいけない」
 という結果になったという記事を見せていた。

 これは面白い数字であるが、これをベースにすると、「日本人の三分の2が
 アメリカに強硬であるという世論であるので、軍は対米戦争に踏み切れた」
 という推論になる。だから、「メディア論」はこわいのだ!

 この先生がいうには、1930年代の中ごろまでは「日本人はナチスの
 ドイツが嫌いだった」らしい。では、どうしてドイツ嫌いがドイツ好きになり、
 ついにはアメリカに強硬であるべきだという世論に変化したのか、
 丁寧に解き明かすべきであった。しかし、それができずに終わっていた・・・

 簡単な説明をすると、「日本人の中の超エリートである日本陸軍軍人の
 三分の1は、明治時代からの伝統で<ドイツ語必修>だった」のである。

 だから、第一次世界大戦の対独戦争をしても、戦争が終わると、すぐに
 日本陸軍はドイツ留学に多くの人を派遣した。

 バーデン=バーデンの密約も、ドイツの温泉保養地で、最悪インフレに
 苦しい生活を余儀なくされたドイツ人をしり目に、日本陸軍の3人が集まり、
 後の日本陸軍の路線を語り合うことから生まれた。

 薄給に悩む日本陸軍のエリートは、最悪インフレの中、ドイツで優雅な
 暮らしを楽しむ一方、ドイツ人に大切にされ、そこからさらにドイツびいきに
 なったのである。

 一方、山本五十六もハーバード大学に留学しているが、ほとんど大学に
 行っていない。ハーバードのエリートや中国系移民に意地悪された?!

 山本は強大なアメリカの力を見せつけられる一方、
 日本人を馬鹿にするアメリカ人が本当は嫌いだったのではないかと考える。

 そうでないと、米内光政海軍大臣を次官として補佐し、「三国同盟」に
 反対して陸軍や右翼と闘った山本が、最後に「真珠湾奇襲攻撃」を
 みずから発案し、その作戦を指導したのか説明できないのである・・・

 大分県立先哲資料館に「堀悌吉にあてた山本五十六の手紙」
 (40年10月11日付)が残っている。

 防衛大学校の先生は、この手紙の最初の方だけ読んで、こう解説した。

 「山本五十六は、最後までアメリカとの戦争に反対でした」

 しかし、この手紙の最後の方で、山本はこう自分の心を吐露していた。

 「連合艦隊司令長官を1年以上も続けると、英米との開戦の方向へ決意を
 固めざるを得ない」

 連合艦隊の「長門」や呉軍港は、反米・親独の軍人が多かったのである。

 なぜか?

 それについても、『なぜ日本人は、あの戦争を始めたのか』に正解を書いた!

 いやそれ以上のことを、『なぜ日本人は、あの戦争を始めたのか』
 で書いている。是非とも読んで戴きたい・・・
 
 

 
 

 
author:ぷるの飼い主, category:U-Uiversityの語源, 21:24
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