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大学の語源(その47)、日韓さくら起源論争にとどめをさすアーネスト・サトウの記述を発見!
 
 大学の語源(その45)で「日韓さくら起源論争に終止符を打つさくらの語源」
 について書いたが、今日はその続き・・・

 『アーネスト・サトウ公使日記』(機砲鯑匹鵑任い燭蕁¬滅鬚さ事を発見した。

 アーネスト・サトウは、幕末期の文久二年(一八六二年)九月八日に来日した
 イギリスの外交官で、通訳として明治維新で活躍、1895年(明治28)年7月
 28日にイギリス駐日公使として赴任して来た人である。

 (注)、小生は、西暦は基本的に算用数字を使用し、明治五年末までの年号は
     漢数字、明治6年以降は算用数字を使っている。日本が従来の太陽
     太陰暦(旧暦)を西暦(新暦)に変更したのが、明治五年だからである。

 その1895年(明治28年)10月5日(P55)の記述にこうある。

 「ラウザー嬢と馬車で、染井と巣鴨の植木園に行く。そこで伊藤小右衛門に
  出会った。彼は1875年に宮本小一の推薦で公使館に植木を植えた
  男である」(『アーネスト・サトウ公使日記』(機某型擁往来社・2008)

 以上の中の「染井」とは、現在の東京都駒込あたりの「染井村」で、
 桜の交配品種「ソメイヨシノ」発祥の地である。

 アーネスト・サトウは、大の植物好きで、イギリス公使館やその周辺に
 美しい日本の植物を植えようと訪ねたのであった。
 
 そこで、伊藤小右衛門という植木職人と出会った。

 彼は、1875年(明治8年)に公使館に植木を植えた男で、
 20年ぶりのイギリス公使館での仕事であった。

 明治8年のイギリス公使はかの有名はパークス公使で、サトウは彼に
 仕えていた。ただし、サトウはこの年の2月に休暇で帰国している。

 イギリス公使館は、明治五年に三田から現在の麹町に移転していた。

 公使となったアーネスト・サトウは、大きく成長したソメイヨシノなどの
 植物を見て、さらに手を加えようと考え、染井や巣鴨の植木園に馬車で
 行ったのではないだろうか・・・

 「ソメイヨシノ」は、エドヒガンザクラとオオシマザクラの交配品種で、
 こういう植木園で大量の「苗木」が売られていたのである。

 

 「千代田区観光協会」のHP「千代田のさくらまつり」に「英国公使館の
 さくら」というのが記載されていた。転載してみよう・・・

 「有名な英国大使館前の桜並木。この桜は1898年(明治31)、当時の公使
 アーネスト・サトウが公使館前の空地に桜の木を植え東京府に寄付をしました。
 現在では想像もつきませんが、当時は花見をしながら富士山や海の見事な眺めが
 大使館から一望できたといいます」

 アーネスト・サトウは、明治8年に植えた桜並木がサクラの名所になったため、
 公使館用地でない並木道を明治31年に東京都に寄付したのである。

 『アーネスト・サトウ公使日記』(供砲裡隠牽坑固(明治31年)2月2日
 (P45)にも同じ駒込の植木園のことが出て来る。

 「馬車で駒込の植木屋組合へ行く。この組合は大量の輸出をしている。植木屋
  は、私のために、花序が穂状をなした管竹を数本切ってくれた」

 想像するに、アーネスト・サトウは、東京都への「桜並木道」寄付を決意し、
 寄付する前に植木屋に手入れをさせ、さらに公使館の敷地用の植木を選定させる
 ために、駒込の染井の植木屋組合を訪問したのではないだろうか。

 この記述でわかるのは、1898年(明治31年)の段階で、大量の植木を
 海外に輸出していたことである。つまり、日清戦争で独立した大韓帝国に
 ある日本公使館や領事館、日本人経営の会社や工場の敷地に「ソメイヨシノ」
 が輸出され、植えられた可能性があるということである。

 これは、済州島で王桜の自生種の古株が発見された年よりも前のことだ!
 
 

 こういう記事を多く見つけ出すことにより、日韓さくら起源論争は自然に
 終焉することでしょう・・・

 

 

 
author:ぷるの飼い主, category:U-Uiversityの語源, 11:08
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