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大学の語源(その45)、日韓さくら起源論争に終止符を打つ「さくらの語源」!
 
 この季節になると、「日韓さくら起源論争」が決まって噴出します。

 その起源論争に終止符を打つために、このブログを書いてみました。

 まず最初に、日本の「さくら」を代表する「染井吉野(ソメイヨシノ)」と
 韓国済州島原産の「王桜」の違い。

 国立森林研究所と岡山理科大学は、2017年1月に共同発表していますが、
 学問的には非常に難しいので、小生が我流でやや乱暴に掻い摘んで説明します。

  「ソメイヨシノ」と「王桜」は遺伝子が違う!

  前者は「エドヒガン桜」と「オオシマサクラ」を交配させた園芸品種で、
   葉が出る前に花が咲きほころぶ「エドヒガン桜」と花のカタチが大きく、
   美しい花びらをしている「オオシマサクラ」の特徴を、いいとこ取りした
   さくらです。

  後者は、「エドヒガン桜」と「オオヤマザクラ」の交配種です。

  「ソメイヨシノ」は園芸品種ですから、「ソメイヨシノ」同士の交配では
   繁殖しません。ただ、他の品種とは交配するそうです。アメリカに贈られた
   「ソメイヨシノ」はその実生から選出された「アメリカ」という品種だそう
   です。『世界大百科事典』(平凡社)に出ています。

  「ソメイヨシノ」は、「エドヒガン桜」の挿し木を「オオシマサクラ」に
   接ぎ木して育てた苗木を植え、大きく成長させます。

  それに対し、韓国の「王桜」は、200年以上前の古木が見つかったという
   報道がありますから、「自生種」であり、「園芸品種」ではないようです。

  「オオヤマサクラ」などの「山桜」は、花と同時に葉が出る品種ですから、
   「王桜」は「ソメイヨシノ」のように咲き終わり、散るまでは葉が出ない
   ということは望めないかもしれません。

  「満開の見事さよりも散り際のはかなさ」を愛する日本人にぴったりなのが、
   この「ソメイヨシノ」なのです。

  『世界大百科事典』(平凡社)によると、1681年に水野元勝が著した
   『花壇綱目』という本には、実に40品種のサクラが載っているとか。

  載っていないのは「ソメイヨシノ」。これは、「明治初年ごろに東京の染井
   (江戸・豊島郡・駒込)から広がり始めたもの」で、江戸時代後期の植木屋
   が園芸品種として開発したものであるというのが定説です。

 つぎに、「さくらの語源」について。

  本居宣長は、『古事記』の「此花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)
   の「佐久夜(さくや)」が「さくら」になったと提唱しています。
   『世界大百科事典』(平凡社)より。

  『日本書紀』に履中天皇の宮殿を「稚桜(わかざくら)の宮」と名づけた
   とあります。履中天皇は、仁徳天皇の第一皇子ですから、一応、実在の
   「倭の五王」のひとり、天皇の前の称号「大王(おおきみ)」であったと
   考えることができます。


  奈良時代は唐の影響が強く、「梅(うめ)」を愛します。都を京都の平安京
   に移した時も、紫宸殿階段左は「梅」、右は「橘」が植えられていました。
   それが承和年間(834〜847年)に枯れたため、「さくら」を植えたの
   です。そこから「左近のさくら」、「右近のたちばな」と言うように
   なります。

  そして、平安時代の人々は、「さくら」をただ単に「はな」と称するよう
   になり、短歌でも「はな」と出て来れば、「さくら」を意味するところと
   なったのでした。

  「花見」に関しては、ウィキペディアに「嵯峨天皇が弘仁三年(812年)
   に神泉苑で「花宴の節(せち)」を催した」と記載されていますが、これは
   『日本後記』からの引用です。『日本後記』は『古事記』(712年)、
   『日本書紀』(720年)に次ぐ、日本六国史の第3番目で、840年に
   完成しています。日本が「さくら」を愛するようになったのは、大変古い
   ことだったのです。ただし、このころの「さくら」は「ヤマザクラ」の品種
   だったのではないでしょうか?!

  さて、「さくら」の語源ですが、小生は、「咲(さく)く+座(くら)」
   の「2つの「く」の重なりが、ひとつになったもの」と考えています。
   つまり、「桜の神が毎年決まったように降りて来て、花を咲かせる場所」!
   山の峰々の決まったころに花を咲かせる「ヤマザクラ」を見て、人々は、
   「咲くら」と呼び、中国の漢字の「櫻(オウ)」をあて、「桜」という
   くずし字を使用するようになったのだと思います。ですから、「桜」という
   字もまた、日本人の考案だったのかもしれません!

  それでは、当時の中国人に「櫻(オウ)」を愛でる文化があったのでしょう
   か? 多分、なかったと思います。中国では「梅(バイ)」が主流だから
   です。さらに、「櫻(オウ)」は、「ふたつの貝の女」というつくりです。
   これは、「女性のつける美しい珊瑚や貝のような首飾りに似たサクランボ
   =ゆすらうめ=櫻桃」を意味します。ですから、中国人には「さくら」は
   歴史的に「食用」として重要だったことを暗示しているのです。

  中国の文化を色濃く受けた朝鮮半島では、「サクランボ」としては小さくて
   美味しくない「ソメイヨシノ」のような鑑賞用の桜を開発するわけがない
   のです。

  ただし、戦前のように「さくら」を「日本だけのもの」と考えるのはよく
   ないと思います。「桜(さくら)」は世界共通のものであるのです。ただ、
   「ソメイヨシノ」は「江戸末期の植木職人が創り出した鑑賞用のサクラで
   ある」ということなのです!
  

 
     

 
author:ぷるの飼い主, category:H_History of Words(言葉の歴史事典), 12:03
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朝日の「天声人語」に載った「ライバル」の語源! ラテン語の原義の解釈が違っていた・・・
 今日第二木曜日は、「朝日新聞の古紙(新聞)回収日」・・・

 8月分の「読み直し」と「切り抜き」をやった。月一回の恒例行事・・・

 と、8月1日の朝刊一面の「天声人語」に「ライバル」の語源が載っているのを発見。引用すると・・・

「競争相手のことを言う「ライバル」の語源がラテン語の「小川(rivus)」なのはよく知られている。元は「川の水をめぐって争う者」の意味という。古来、水がいかに貴重だったのかの証しだろう」

 このラテン語の「rivus(リーウス)」が「小川」という意味で、それが語源になったいう説は「語源説のひとつ」ではあるが、元は「「川の水をめぐって争う者」という意味だったとするのは間違い!

 研究社の『英語語源辞典』を引くと、

「ラテン語のrivus(リーウス)はstream(ストリーム=小川」という意味で、そこから
「rivalis(リーワーリス)」という言葉が派生した」

 この「rivalis(リーワーリス)」という言葉の原義が「他の人と同じ小川を共同に使う者」という意味。

 「rival(ライバル)」という英語の初出は「1577年」で、その時の意味は「対抗者;仲間」。

 ここで、このブログの結論を述べると・・・

「ラテン語が使われていた古代ヨーロッパでは、小川の使用権などは認められておらず、農耕・炊事・風呂・洗濯などで同じ小川を使う人々は、自分たちの小さな共同社会の中で、ある種のルールを作って、その範囲のなかで仲良く同じ小川を使っていたのではないだろうか。日本の地域社会にまだ「共同水道源から水を引いた炊事場・洗濯場」などがあるのは、その名残りで、rival(ライバル)には「仲間」という意味があったのである」

「しかし、ヨーロッパが中世に入って土地の所有権が明確化されて来ると、「天声人語」のいうように、「川の水をめぐって争う者」という厳しい社会状況が生まれて来た。そこから、英語の初出は「対抗者」という「仲間」と反対の意味合いが出て来たということなのだ」

 今でも、「ライバル」という言葉を「競い合ってお互いを高め合う好敵手」いう意味で使うのは、そういう言葉としての歴史があったからだと思う。

 「語源」を書く人も、「語源」を読む人も、安直な使い方は禁物ということだ!
author:ぷるの飼い主, category:H_History of Words(言葉の歴史事典), 13:39
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「がんばれ!日本」の声に押されて、今日は、「頑張るの語源」、新説発表・・・
 日本語には、語源がよくわかない語源が多い・・・

「和・漢・洋・才!語源のブログ」の中の「洋」は、ヨーロッパ。ここの言語には、ギリシャ語やラテン語、フランス語やイタリア語などの「ラテン語系」、「英語系」、オランダ語やドイツ語などの「ゲルマン語系」など、多数の言語がある。それらが分派し、さらに相互影響し合って現在の言語となったことから、相互関係の言葉の変化として語源が究明されやすく、かなり明確に一語一語の語源にたどりつくことができる・・・

「漢」は、古い中国語の文字。「表意文字」だから、漢字の「部首」をきっちりつかめば、かなりのことに言及できるので、小生のような門外漢でも偉そうなことを書いたりしている・・・

 それに比較し、「和」の日本語は、海の向こうの「他民族の言語」に影響を受けることが少なく、長い間ゆっくり時間をかけて自己発達した言語だし、外来語が入って来ても、それを外来語として区別しやすい。そういう理由の故に、語源的にはよくわからない言葉が多い・・・

「頑張る・がんばる」という言葉もそうだ!

 しかし、今の日本は、「がんばる」とか、その命令形の「がんばれ」とかがよく使われている・・・

 語源がはっきりしないのに、その言葉を多用するのはいけないのではないかと考え、今日は、思い切ってその語源のことに斬り込んでみた!

『日本語源大辞典』(小学館)には、こうある。
  ガバ(我張)ルの音便(大言海)。
  ガ(我)ニハ(張)ルの撥音便。我を折らぬ、我を張るの意。「眼張る」は別音(上方語源辞典=前田勇)。
[参考]江戸中期より用例の見える「眼張る」(目をつけておく、また、見張りをする、などの意)から出た語とす る説もある。

「エッ、そうなのー???」と、読者の皆さんも、ちょっと首をかしげるような語源説が並んでいる・・・

 ここで、新説を発表すると、

「<噛(か)み張る>の変化」だと思うのだが、どうだろう・・・

「ぐっと奥歯を噛みしめて、目元をきりっと張りつめて、面と向う物に対応する」。つまり、「我慢する形相で難題に立ち向かう」というような意味合いで、「かみはる」が「我慢」という言葉の意味の影響を受けて、「がんばる」と、音的にも変化したのではないだろうか・・・

 その方が、今の日本では、従来の語源説よりも「がんばれる気がする」のだが、どうだろう・・・

author:ぷるの飼い主, category:H_History of Words(言葉の歴史事典), 20:59
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なでしこジャパン、オリンピック出場のキップをかけ、済南で北朝鮮・中国と激突! そこで、今日は、済南(サイナン)の語源・・・
 なでしこジャパン、今日9月8日(木)の相手は、勝ち点(7)を持つ北朝鮮・・・

 なでしこジャパン、オリンピック出場のキップをかけた済南大会最後の相手は、9月11日、中国・・・・

 中国の勝ち点は、現在の段階で(5)。下馬評の高かったオーストラリアは、済南の水に合わないのか、芝が長く、下の地面が固くでこぼこしている会場に手こずっているのか、勝ち点(3)でほぼ圏外に去った・・・

 それに対し、なでしこジャパンは、3連勝し、勝ち点(9)。

 でも、まだまだ予断は許されない。この土壇場で北朝鮮と中国が2連勝し、なでしこジャパンが2連敗したら、オリンピックに出られない! 

 済南(サイナン)が彼女たちの「災難(サイナン)」とならないように、相手の「災難」となるように祈りながら、4時5分から、ねじり鉢巻でテレビの前にかじりつきたい!

 そこで、今日は、「済南」の語源について書いてみた・・・

 済南の南に海抜1524メートルの秀峰があり、テレビでも映しているが、これが中国の「四名山」のひとつ「泰山(タイザン)」、あの「泰山鳴動して、ねずみ一匹」の「泰山」である。

 実はまた、この山の東側にある「淄川(シセン)炭鉱」というドイツから譲り受けた会社にうちの祖父が勤め、叔父がそこで生まれたので、以前から地名に関心があったのだ・・・

 「済南(サイナン)」の「済(サイ)」を「漢和辞典」で引くと、「わたる・わたす」という意味が出て来る。つまり、この都市の北を流れている黄河の「下流地域における渡河点・渡し場」があり、河の北側を「済北」、河の南側を「済南」と言って来た。英語でいうならオックスフォードのford(フォード)、ドイツ語でいうならフランクフルトのFurt(フルト)。そういう都市の名が生まれたのは、「前漢時代の呉楚七国の乱(BC157年)」のころであるらしいが、これについてはもっと調べないと、迂闊なことはいえない・・・

 ただし、「春秋時代」から「齊=斉(サイ)=等しい・整えられている」という国があり、孔子や孟子も、諸国遍歴の旅で訪れている。その時の、齊城(サイジョウ)は今の「臨淄(リンシ)」だから、済南とは違うが、済南に6ヵ国が集う「オリンピック・アジア予選」。

 なでしこジャパンには、最後まで頑張ってもらいたい! ロンドンで「金」を取るためにも・・・ 
author:ぷるの飼い主, category:H_History of Words(言葉の歴史事典), 14:13
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NHK朝の連続ドラマ「おひさま」の舞台「安曇野(あづみの」の語源! 新説発表・・・
 NHK朝の連続ドラマ「おひさま」の舞台は、「安曇野(あづみの)」・・・

 明日から、この地方をめぐる旅に出かける・・・

 偶然なことなんだが、今年の2月15日に亡くなったおばさんの生まれ故郷だったので、訪ねてみることにしたのだ。そこで思い出したのが、前に「日本の難解地名の語源」を調べていて、その中で「安曇野(あづみの)」の語源についてもいろいろ考えたことだった。

 書いたことに少し補足を加えて掲載すると、

・安曇(あづみ・〈古〉あづみ) 「長野県中西部にあった南安曇郡の村、現在、安曇野市」

・安曇野市のHPによると、現代的仮名遣いの「あずみの」とせず、語源を守る歴史的仮名遣いにより、「あづみの」にしているという。

・名前の由来を阿曇氏(あづみうじ)に求めているが、これは記紀の伊邪那伎(いざなぎ)の大神の段に登場する名族で、紀では応神天皇の時代に古代の海人族(あまぞく)の宰(みこともち=大王の代行者)になった。

・市内の穂高神社は、海神族や阿曇族の祖神である穂高見(ほだかみ)の命を祭神とし、「海の神を意味する「海人津神(あまつみ)」あるいは、「綿(和多)津見(わたつみ)」を語源とし、「あまつみ」「わたつみ」がなまって、「あつみ」が「あづみ」となる」としている。

・ここに異説を唱えると、穂高連峰は死火山であるが、その前山ともいうべき焼岳(やけだけ)は活火山であり、気象庁のHPによると、千年に4回ほどの割合で水蒸気噴火を繰り返し、大正四年(1915年)には土石流を発生し、梓川(あずさがわ=現代かな)をせき止めて大正池を生成している。

・梓川は、梓は古語では「あづさ」であり、強弓を作る材料となる梓(あづさ)との関連から、「当(あ)つる+矢(さ)」、「急流で岩や崖に激しく突き当る川」という意味だったのではないだろうか。しかし、「当(あ)つ→熱(あつ)」と変化したとも考えられ、「熱(あつ)+矢(さ)」は、この地方で「熱い土石流や火砕流が火矢のように下る」という意味も込めて使われ、長い時代を経て、地名になったと解される。

・日本語源大辞典』によると、「梓(あづさ)」には「当(あ)つ+刺(さ)す」という語源説があり、「もともと梓弓は投前器という武器であった」という。それが「当(あ)つ+矢(さ)」になったと仮定してもいいだろう。

・さらに、焼岳の土石流や火砕流が梓川に流れこみ、渓流沿いには白骨温泉などの名湯が多いことから、下流に「熱(あつ)+水(み)」で「あつみ」という地名が誕生し、名前が似ていることから古代名族の名を当て、「安曇(あづみ)」になったと想像したい。

author:ぷるの飼い主, category:H_History of Words(言葉の歴史事典), 10:41
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