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大学の語源(その53)、「夢(ゆめ・ム)」という漢字の語源は「家の中の寝床+目が2つ」。つまり、「見えにくいものをよく見る」という原義だった!
 
 平成30年4月2日(月)の朝日新聞朝刊一面の「小枠広告」から・・・

 リンテック(株)という会社が、「夢(ゆめ・ム)」という漢字の中の
 
 「夕(ユウ)」という部首を「創(つくる・ソウ)」にかえる、

 面白い広告を出していた。

 会社の企業スローガンが

 「くっつく技術で 夢ををつないで 未来を創る」

 ということなので、「夢」と「創」を合体させて、新漢字を創作したらしい。

 では、消されてしまった「夕」は何だったんだろう?

 実は、「夕」という字は「目」だったのである。

 現代、「夢」という字を書く時、こう書く。

 「草かんむり」→「目の横向き」→「わかんむり」→「夕」

 しかし、むかしは、こう書いていたらしい。

 「曹(ソウ)の日のない上側」→「目の横向き」→「わかんむり」→「目」

 この字に、さらに「家を表すうかんむり」や「寝床を表す部首」がついていた。

 すなわち、むかしは「夢(ゆめ」という「睡眠中に見る心的現象」ではなく、

 「家の中の寝床という暗いところで見ようとするが、見えにくいので、

 目を凝らしてよく見ようとすること」を意味していたらしい。

 その「家のうかんむり」や「寝床を表す部首」を取って、漢字を簡略化した時、

 原義のある「暗いところ」という意味がなくなるので、「下の縦向きの目」を

 「夕」という字に変えた。
 
 下の「目」を「夕」に変えても、「横向きの目=もっと古いの目の象形」が

 あるからいい。それよりも、

 「夕」は「黄昏(たそがれ=誰(た)そ彼(か)れ)」という意味で、

 「誰なのか、何なのか、よく見えない時間帯」を指すから、

 それを用いた方がいいと思ったのではないだろうか?!

 (ここらへんには、学問的というより、やや空想的な記述が含まれている)

 そして、原義も変化し、現代風の「睡眠中に見る心的現象」の「ゆめ」となった。

 このリンテック(株)の新漢字「夢(ゆめ)+創(ソウ・つくる)」は、

 社員全員が夜見る「夢」ではなく、昼間ガンガン働き、バンバン空想しながら、

 「こんなことをしたい! あんなものを創りたい!」と夢想すること!

 すなわち、「現実にはよく見えてないものを、コツコツとみんなで形あるものにし、

 未来に実を結ぶようにつないで行こうではないか!」というような意味あいが

 こめられている、ということになる。

 「夢」の原義をとりもどすことこそ、「夢をかなえる」ことなのだ!

 

 

 
author:ぷるの飼い主, category:U‐University(大学の語源事典), 13:19
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大学の語源(その52)、森友学園決裁文書「改竄(カイザン)」の語源は「穴の中の鼠(ねずみ)がこそこそと書き換える」!
 
 平成30年3月13日づけの「朝日朝刊」は、

 一面の「横組み、黒ベタ白抜き大見出し」に、「財務省 公文書改ざん」

 「縦組み、第一見出し」に、「森友「特例」経緯 削除」と掲げていた。

 ただ、12日のテレビの報道は、ほとんど「決済文書の書き換え」と報じていた。

 財務省が12日「森友学園への国有地払い下げに関する決済文書の書き換え」を
 認める報告書を国会に提出したため、そのまま「書き換え」としたようである。

 では、「書き換え」=「改竄(カイザン)」なのか?

 それとも、「書き換え」≠「改竄(カイザン)」なのだろうか?

 昭和30年の第一版第一刷を発行した『広辞苑』では、「改竄(カイザン)」は、

 「(「竄」は改めかえる意)字句などを改めなおすこと」

 となっていて、「改竄(カイザン)」の「改(カイ)」も「竄(ザン)」も
 同じ意味で、「改めなおす」と定義されている。

 つまり、『広辞苑』(第一版)には「悪い方向に改める」という意味はない!

 この解釈は『漢語林』(大修館書店・昭和62年発行)などの

 漢和辞典にも踏襲されていて、

 「改竄(カイザン):文字・語句を改めなおすこと。竄は、改め変える意」

 となっている。

 ところが、『日本語大辞典』(講談社・平成2年第一刷)では、

 「悪用しようとして、書類や証書の文字を直すこと」

 と、明らかに「悪い方向に改める」と変更されている。これは、

 小学生から一般人まで広く使われる『新明解国語辞典』(三省堂・同上)の

 「〔「竄」は、文字を改める意〕そこに書いてある文字を、自分に都合の
  いいように書き直すこと。「小切手の改竄」」

 という定義もまた、ほぼ同じ悪い方向への解釈と考えていいようだ。

 つまり、昭和時代の「改竄(カイザン」は「単なる字句の書き換え」という
 意味であったが、

 平成に入ってから、「悪い方向への書き換え」と変化したのである。

 どうしてなのだろうか?

 「改(カイ)」には「改革・改新・改良・改善」という熟語をつくる
 ように、「あらためて、新しくする」という原義があり、別に悪い意味はなく、

 「竄(ザン)」という字と熟語を成すことにより、

 「穴の中の鼠(ねずみ)が(こそこそと=ひそかに)書き換える」

 という意味になるのである。

 「鼠(ねずみ)」には悪い意味はないが、「こそこそと=ひそかに」に

 書き換えることが大きな問題として見なされるようになったのだ!

 『広辞苑』の第二版以降の意味の変化を調べてみる必要があるが、

 昭和のあるころから「小切手の書き換え」、「領収証の書き換え」などの

 「公文書偽造」が横行し始め、

 その時代背景の変化に合わせて、

 「改竄(カイザン」の意味が変化して行ったような気がしてならない!

 そして今日、大学や研究所においても、「他人の論文の剽窃」があったり、

 「実験データの改竄」が頻発するようになると、

 同時に、「役所内の決裁文書などの公文書の書き換え」も

 「こっそりと、ひそかに」行われるようになったということなのである。

 「他山の石」、財務省ばかりでないかもしれない・・・

 

 
 

 
author:ぷるの飼い主, category:U‐University(大学の語源事典), 12:27
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大学の語源(その51)、ジーンズの生地デニムの語源はフランス語。では、ジーンズの語源は?
 
 2017年10月13日、NHKのBSプレミアで、

 『美の壺』「世界が注目 ニッポンのデニム」というのをやっていた。

 そこで、まず「デニム」の語源を『英語語源辞典』(研究社)で調べてみた。

 「serge de Nimes(セルジュ ドゥ ニーム=南フランスの町ニーム産のサージ」

 serge(英語サージ、仏語セルジュ)は、「服地の一種」である。

 アメリカ産のジーンズの生地だから、「デニム」も米語だと思っていたが、

 生地はフランスのニームで織られ、そこから産地の「ドゥ ニーム」が残り、

 「デニム」と変化したことが判明した。

 しかし、これはウィキペディアにも載っている有名なことだったらしい。

 そこで、今度は、jeans(ジーンズ)の語源を調べてみた。

 『英語語源辞典』には、こう出ていた。

 「jean(ジーン)は、1488〜1607年ジェノバ人、1567年ジーンズ
  で、古フランス語のjanne(ジャン)に由来する」

 「ジーンズは最初に作られた土地の名にちなむ。〜
  今日でも米語法で見られるように「綿布」の意で、複数形で単数扱いされる。
  「ジーンズで作った衣類」の意味で複数形の例は1843年に初出」

 ここからは、「和・漢・洋・才! 語源のブログ」の想像。

 「地中海貿易を支配していたイタリアのジェノバ人は「帆船用の帆の布」を
 丈夫な綿でつくり、長く強い潮風にさらされても持つよう、藍で染めていた。
 そこから、マルセーユのある南フランスが、indigo(インディゴ=藍<Indian
 (インディアン=印度人))の産地となって行った。気候が温暖で湿地帯が
 多く、原産地のインドに似ているからである。
 そして、ジェノバの衰退とともに、南フランスの各地、
 とくにニームでも帆布が織られ、さらには藍で染められるようになり、
 大航海時代を切り開いたポルトガルやスペインに輸出された。その後、
 大西部を開拓するアメリカ大陸の移民が乗る幌馬車の幌(ほろ)にも使われ、
 1843年の初出となった。それは、西部の開拓地にたどり着いた移民たちが
 使用しなくなった幌(ほろ)から、ズボンやスカートをこしらえたからである。
 こうして、デニムのジーンズという言葉が誕生した」

 以上のことから、ジーンズもデニムも、フランス語が語源だったということが
 わかる!

 

 

 
 

 
author:ぷるの飼い主, category:U-Uiversityの語源, 20:51
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大学の語源(その50)、凶暴化する「台風・ハリケーン・サイクロン」の語源の違い!
 
 本日(9月10日)のTBS「サンデーモーニング」で、

 「台風・ハリケーン・サイクロン」の違いを説明していた。簡単にいうと、

 「台風は、太平洋を東西に分ける子午線の西側、赤道の北側で発生する暴風雨」

 「ハリケーンは、太平洋の東側、赤道の北側で発生する暴風雨」

 「サイクロンは、赤道の南側で発生する暴風雨」

 というような分類法であった。

 これが、最新の世界気象学会の定義かどうかは明確ではないが、
 色んな齟齬が感じられたので、それらの「語源」を調べてみた。

 まず、「サイクロン」であるが、
 これは、cyclone とつづり、cycle(サイクル:周期、ひとまわり)が語源。
 すなわち、「目に向かって強い風が吹き込む旋回性の暴風雨」を意味し、
 「インド洋方面では温帯性低気圧のことをいう」『英語語源辞典』(研究社)。

 また、あまり発生しないが、大西洋やアフリカ北岸で生まれて、
 ヨーロッパ西岸や地中海を襲う暴風雨を「サイクロン」と呼ぶことがあるから、
 赤道の北にもできることになる。

 ただそれが、オーストラリアやニュージーランドに伝わり、「南半球の時計回り
 の暴風雨」をさす気象上の言葉になったのは間違いない。英語圏だからだ!

 「旋回性の暴風雨」は国や地域で色んな呼び方をされて来たから、それらを
 総称して、cyclone(サイクロン)というのが一般的な考え方だろう。

 「hurricane(ハリケーン)」は、メキシコ湾・カリフォルニア湾・
 西インド諸島で発生した強烈な暴風雨に意味を限定して使われている。
 もちろん「旋回性」である。『英語語源辞典』によると、
 語源は、「南アメリカ先住民語 hura(フラ=強い風)」であるという
 

 「台風・typhoon(タイフーン)」の遠い語源はアラビア語であるという。

 アラビア語のtuphon(トゥフォーン=大洪水)を借用した中国広東省の人々が
 ta feng(ターフェン=大風)とあてたらしい『英語語源辞典』。

 その「大風」を、
 「台風=tai feng(タイフェン)」としたのは、台湾の方から来る暴風雨だ
 からだ」
 という語源説を聞いたことがある。

 

 

author:ぷるの飼い主, category:U-Uiversityの語源, 09:56
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大学の語源(その49)「メリケン波止場」の語源! 童謡や流行歌が教えてくれる・・・
 
 昨夜、『昭和天皇実録』の第二(大正三年〜九年)を読んでいたら、

 大正6年の7月、東宮殿下(皇太子裕仁)がおめし艦「香取」に乗り、
 福井県の敦賀から山陰をめぐり、関門海峡を通って瀬戸内海に入り、
 12日(木)、神戸港に上陸したくだりをみつけた。そこに、

 「神戸港米利堅波止場(メリケンハトバ)にご上陸になり、
 8時、神戸駅をご発車」

 という記事があった。

 前回の「大学の語源(その48)」では、
 「そう言えば、日本の横浜にも、「メリケン波止場」というアメリカ軍
 の波止場があり、流行歌でもよく歌われたような記憶がある」

 と書いているため、気になった。

 まず、『広辞苑』(岩波書店)で調べてみた。

 「アメリカンの略。〜メリケン粉などの言葉がある」

 と出ていたが、神戸の由来なのか、横浜の由来なのか、記載がない。

 『世界百科大事典』(平凡社)には載ってなく、「ウィキペディア」を検索。

 「明治元年(1868年)明治政府が第三波止場として開設。近くに米国
 領事館があったことから、「メリケン波止場」と呼ばれるようになった。
 (明治27年に横浜港に鉄製の大桟橋が完成したことから、)
 明治末期から1970年ごろまで「メリケン波止場」と呼ばれた」

 これを補足してみよう。やはり、「歴史的な観点」が抜けているような気がする。

  「メリケン波止場」の起源発祥は、神戸港で、第三波止場の近くにアメリカ
   領事館があったことによるというのは、間違いないことだろう・・・

 ◆,靴し、明治末から横浜の「大桟橋」も「メリケン波止場」と呼ばれる
   ようになった。それは、アメリカのサンフランシスコ・横浜・上海・香港を
   結ぶアメリカ定期航路が開かれ、
   アメリカ汽船や貨物船が多く寄港したからではないだろうか? 

  もしくは、「大桟橋」は鋼鉄製であったことから、輸入元のアメリカをとり、
  「メリケン波止場」と呼ぶようになったとも考えられる。
  山手線恵比寿駅と目黒駅間に線路の上を通る跨線橋があるが、
  その恵比寿駅側の橋の近くに住んでいた小生は「アメリカ橋」と呼んでいた。
  中目黒あたりに駐屯する日本陸軍の戦車が山手線内に入る時、
  この橋を渡ったという。それまでの木造の橋では、戦車の重量に耐え切れず、
  橋が戦車ごと落下する危険性があったからで、当時そうした鉄骨を建造できない
  日本は、やむを得ず、アメリカに発注したということを、橋のたもとに
  はめ込められたプレートで読んだような記憶が残っている。

  大正11年(1922年)に発酵された童謡「赤い靴」の歌詞はこうだ。

  「♭ 赤い靴はいてた 女の子〜
     異人さんにつれられて いっちゃった〜
     横浜の波止場から 船に乗って〜
     異人さんにつれられて いっちゃった〜 ♯」
   
      
  ここでは、「横浜の波止場」と歌われている。
   横浜が「メリケン波止場」という一般的な、大衆がよく知っている
   呼び名になったのは、もっと後のことだったのである。
   というのは、翌大正12年に横浜は関東大震災に襲われ、港の破壊は
   最悪で、横浜の多くの貿易商や華僑が神戸へ移住したという。
  
  そして、昭和12年(1937年)に新発売され、大流行した
   渋谷のり子が歌う「別れのブルース」(コロンビア)・・・

  「♭ 窓を開ければ、みなとが見える〜 
     メリケン波止場の灯が見える〜
     夜風、潮風、恋風のせて〜
     今日の出船は、どこへ行く〜 ♯」

  この昭和12年7月7日、盧溝橋で発せられた一発の銃声から日本は中国と
  の泥沼の戦争に突入し、やがては、アメリカやイギリスとの太平洋戦争を
  開始するのであるが、この「別れのブルース」は戦争へと駆り立てられる
  若き将校・兵士たち、引き離された家族や恋人たちの「遣る瀬ない気持ち」
  をうたい上げた名曲であり、当時、当局による監視も厳しかったという。
  しかし、「アメリカ波止場」と明確に歌っていない以上、当局も手を出せ
  なかったというような想像ができる。この「メリケン波止場」が神戸だった
  のか、横浜だったのかはよくわからない。しかし、アメリカのコロンビア・ 
  レコードと提携した日本蓄音機商会は川崎に本社を持っていたから、横浜の
  「メリケン波止場」と考えるのが妥当だろう・・・


  この歌は、戦後もよく歌われた。それは、横浜の山下公園近くにある
  「ホテルニューグランド」が占領軍により接収され、アメリカ軍の拠点になった
  からである。昭和20年8月30日厚木空軍基地に降り立ったマッカーサーは
  まずこのホテルニューグランドに投宿し、その後皇居前に進出している。
  まさに、山下公園から大桟橋にかけては、アメリカ軍やその家族のための
  「メリケン波止場」になったのであった。
  
  つまり、「別れのブルース」は、敗戦国の国民にとって、父や夫、子や
   恋人の帰国をあてどなく待つ「待ちわびのブルース」になったということだ。

  そして、アメリカ軍を中心とする連合軍司令部から山下公園が全面的接収解除
   になったのは、1959年(昭和34年)という。
   しばらくは「メリケン波止場」と呼ばれ、その後、1970年(昭和45年)
   ごろまでそう呼び続けられたことがわかる。
  
  
    

    

 
  

 

 

 
author:ぷるの飼い主, category:U-Uiversityの語源, 10:25
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