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NK系の語源(その6)、チコちゃんに言うけど、「日本での車両の左側通行は、明治五年の新橋・横浜間の鉄道開通に由来するんだよ!」
 
 今月7月13日の金曜日、NH系の『チコちゃんにしかられる!』で、

 「(車両の)世界は右側通行の国が多いのに、日本はなぜ左側通行なのか?」

 というチコちゃんの質問に対し、

 出場の回答者は、

 「ボーっと生きてんじゃねーよ!−」と、叱られていた。

 チコちゃんが知っていた正解は、

 「殺し合いになったから」というものであった。

 東洋大学の先生が、

 「江戸時代、武士は腰の左に大小の刀を差していたため、
  右側通行だと、すれ違った武士同士の刀が触れ合い、
  双方が無礼だと詰問するところから、
  斬り合いが生じ、殺し合いになったからだ」と説明していた。

 刀を差していた武士の影響を受けて、町民も、籠や馬車も
 左側通行になったんだそうだ。

 でも、そこから、1900年(明治33年)の「車両の左側通行」になる
 という結論を導き出したのは、大いに問題であった。

 チコちゃん、ボーっと生きてんじゃねーよ!−

 日本での「車両の左側通行」は、明治五年に「新橋・横浜間で鉄道が敷設
 されたこと」が遠因なんだよ・・・

 この鉄道敷設は、最初、江戸幕府がアメリカと条約を契約したものだが、
 明治政府は、この条約を無効とした。

 明治政府は、幕府から受け継いだイギリスからの大借金を抱えており、
 イギリスの技術援助と資金援助に切り換えたのである。

 もし、江戸幕府とアメリカの条約を有効としていたら、今ごろ日本は、
 アメリカのように「車両の右側通行」の国になっていただろう。

 そして、明治14年に、新橋・横浜間の「複線化」が完了した。

 イギリスは「車両左側通行」の国であり、「鉄道も左側通行」であるから、

 日本の鉄道も「左側通行」になった。これが本当の原因であった!

 その後、馬車に乗る大官や人力車に乗る役人・富裕商人が多くなり、

 自転車、やがては自動車も輸入されるようになった。

 これらの交通を司る警察は「内務省」にあり、ドイツびいきの同省は、
 「車両の右側通行」を主張する人も多かったのではないだろうか。

 しかし、これには「全国の官営・私営鉄道を経営・管理する鉄道省」が
 反対したものと思われる。

 「鉄道は、すでに複線化している鉄路の左側通行を実施しており、
 それらを今から右側通行に変更するのは、大変である」というような
 反対理由を述べた。

 どうして、NH系は、こういう間違いを平気でやるんだろう・・・

 多分、相談した歴史学者が「江戸時代の交通の専門家」ではあるものの、

 明治時代の交通までは研究していなかったからではないだろうか。

 「日本歴史学者の、視野の狭い時代別・領域別研究の弊害」・・・

 それと、『チコちゃんにしかられる!』の「強烈キャッチフレーズ志向」
 も、大いに問題がありそう・・・

 チコちゃんの正解は、「殺し合いになったから」というものであった。

 こういう恐い殺し文句で視聴率を稼ぐ手法なのだ!

 その結果、大事な「歴史的・論理的推論」をしないで
 制作・放送することになった!

 



 
author:ぷるの飼い主, category:NHKの語源, 16:01
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NH系の語源(その5)、チコちゃんに言うけど、ボーっと生きてんじゃねーよ!−。「江戸時代は、人間だけでなく、籠も馬車も乗馬した武士も左側通行だったんだよ!」
 
 今日7月13日の金曜日、NH系の『チコちゃんにしかられる!』を観た!

 また、NH系がやらかしてしまった。

 「日本では、なぜ左側通行なのか?」というチコちゃんの質問に対し、

 出場の回答者は、

 「ボーっと生きてんじゃねーよ!−」と、叱られていた。

 チコちゃんが知っていた正解は、

 「殺し合いになったから」というものであった。

 東洋大学の先生が、

 「江戸時代、武士は腰の左に大小の刀を差していたため、
  右側通行だと、すれ違った武士同士の刀が触れ合い、
  双方が無礼だと詰問するところから、
  斬り合いが生じ、殺し合いになったからだ」と説明していた。

 そして、寸劇で描かれた武士の刀は、「柄(つか=握るところ)」が
 出ていた。

 しかしながら、どんなドジな武士でも、短く、自分の身体の前にある
 柄(つか)をぶつけるようなことは、ほとんどしない。

 ところが、用心深い武士でも、身体の背後に長く突き出た鞘(さや)
 の刀身部分は、振り返った時とかに、ぶつけるようなことがあった。

 それを避けるために、各藩は、「左側通行」を奨励したのである。

 薩摩藩の例で見ると、ある「郷中の掟」の中に、
 「武士は、外に出る時は、帯刀せよ! そして、左側を歩け!」とある。

 その習わしが町人一般にも伝わり、日本橋の上でも、東海道中でも、
 みんな、左側通行をしている浮世絵が残っているんだとか。

 しかし、現代の「左側通行」は、「車両」に限られ、「人間は右側通行」
 をするのが原則なのである。

 この原則が法令化されたのは、1900年(明治33年)であったとして、

 今でも「車両が左側通行」であるイギリスの法律を導入したんだという。

 「廃刀令」は、明治9年に出ている。

 昔、武士階級だった士族も、被支配階級だった平民も、
 慣れている「人間の左側通行」をすぐにやめることはなかったように思う。

 しかし、明治33年になると、「馬車」や「人力車」ばかりでなく、
 「自転車」や「自動車」までもが輸入されるようになったから、

 日本の内務省は、「車両の左側通行」を法的に規制する措置に出た。

 その時、「左側通行」に慣れていた「人間」は、

 「右側通行をすることが望ましい」と要求されたのである。

 江戸時代は、「人間の左側通行」と同時に「籠」も「馬車」も
 「乗馬した武士」も、「左側通行」だったはずである。

 「殺し合いになったから」という殺し文句をチコちゃんに言わせたいため、
 こういう論理的におかしい設問と解答の例になったものと思われる。


 チコちゃんに言うんだけど、

 「ボーっと生きてんじゃねーよ!−」

 それにしても、NHKは、語源や歴史認識の誤謬が多いんじゃないか。

 そのため、「語源のブログ」の中に「NH系の語源」という
 サブジャンルを設けることにした件については、前回お伝えしている。

 乞う、ご期待!
author:ぷるの飼い主, category:NHKの語源, 21:13
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NH系の語源(その4)、チコちゃん!「サッカー最初のルールでは、ピッチ内で積極的に手を使うことが許されていたんだ、よ!」
 
 最近、NHKの『チコちゃんにしかられる!』というのを観ている。

 参加するタレントが間違った回答をすると、
 「ボーっと生きてんじゃねーよ!−」と、チコちゃんに叱られる辛口番組。

 なかなか面白いのであるが、ある日の放送のこと、

 「サッカーはなぜ手を使うことが許されないのか?」という質問に対し、

 チコちゃんの正解は、

 「ピッチ内で、手を使う反則をなくすためであった」としていた。

 でも、ね! チコちゃん、

 「サッカー最初のルールでは、ピッチ内で積極的に手を使うことが
  許されていたんだ、よ」!

 嘘だと思ったら、『スポーツ大事典』(大修館書店)を観てごらん!

 サッカーの項P373「フットボール・アソシエーション・ルール
 (1863年)の第8条にこう書いてあるんだ・・・

 「プレイヤーが踵(かかと)でマークをする(芝生を蹴り傷をつける)と
  同時に、フェアキャッチ(手でファンブルすることなくきっちりつかむ)
  を要求すれば(審判にコールすれば)、彼はフリーキックをするために、
  彼の望むこところまで後退(ゴールに対し)してよい。
  相手側チームのプレイヤーは、彼がキックを終えるまで、
  マークを越えて進むことはできない」

 この「フェアキャッチ」のルールは、少々内容が違うんだけど、
 ラグビーやアメリカン・フットボールにも残されていて、
 「サッカー最初のルール(1863年)」が完全にラクビーのルールから
 脱皮していなかったことを意味しているんだ、よ!

 だから、この頃のサッカー選手は、「ピッチ内で空中を飛んでいる
 ボールを手で積極的にフェアキャッチし」、そのマーク地点もしくは
 下がった地点から、フリーキックをしていたんだ!

 チコちゃんに言うんだけど、

 「ボーっと生きてんじゃねーよ!−」

 それにしても、NHKは、語源や歴史認識の誤謬が多いんじゃないか。

 そのため、「語源のブログ」の中に「NH系の語源」という
 サブジャンルを設けることにした!

 乞う、ご期待!

author:ぷるの飼い主, category:NHKの語源, 19:46
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語源のブログ、6月14日放送のNHK「日本人のおなまえっ」で間違えた「野球命名者」中馬庚の出身校・・・
 
 2018年6月14日放送のNHK「日本人のおなまえっ」!

 今日がFIFAワールドカップの開幕日にあたることから、

 「サッカーがサッカーと呼ばれる意外で深い訳」というタイトルで

 サッカーの語源をやっていた。

 「Soccer(サッカー)の「soc(ソック)」は、
 Association(アソシエーション=協会)の「soc(ソシ)」と同じで、
 「仲間」という意味。

 Society(ソサイアティ=社会)にも通じる。

 だから「サッカー」は造語で、「仲間でやるフットボール」という意味が
 隠されている」

 僕がこう書いたのは『スポーツ語源クイズ』(講談社現代新書)P77。

 2002年開催の日韓ワールドカップの年に書いた本で、
 それをそのまま放送していたから、著者としての心境は複雑だった・・・

 「サッカー」については、間違いはなかったが、「野球」については、
 間違いがあった。

 ベースボールに対し、「野原」でやることから「野球」という名を最初に
 つけた中馬庚(ちゅうまかのえ)を「第一高等学校(一高)・
 東京大学教養学部の前身」の出身であるとしたのであるが、

 中馬庚の経歴や東京大学関係の歴史を一覧にすると、こうなる。

 ・明治19年4月、「東京大学予備門」が「第一高等中学校」となる。
 ・明治21年9月、中馬庚、「第一高等中学校」(一中)に入学する。
 ・明治23年11月、インブリー事件後の「一中vs明治学院対抗戦」
  に、中馬庚、二塁手・5番で出場する(『日本野球史』)。
 ・明治26年6月、中馬庚、「一中」を卒業、9月帝国大学に入学する。
 ・明治27年7月、「第一高等中学校」は「第一高等学校」と改称される。

 すなわち、中馬庚は、「一高ベースボール会」ではなく、
 「一中ベースボール会」の所属だったのである!

 『日本野球創成期』という本には、「明治24年・25年の一中時代の
 選手」という写真が載り、「一中」という字を胸につけたユニフォーム姿
 の9名の選手が並んでいる(『日本野球史』より(大和球児著))。

 そして、
 ・明治30年7月、中馬庚が書いた『野球』という本が大阪前川文栄堂出版
 より出版され、「野球」が日本人の中に定着したのである(同上)。

 この時代、学校制度が目まぐるしく改正されたため、NHKの間違いは
 仕方ないことかもしれない。

 しかし、天下のNHKなのだから、もう少し「歴史誤謬の撲滅運動」に
 精を出してもらいたいものである。

 
 
 
author:ぷるの飼い主, category:NHKの語源, 21:36
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大学の語源(その56)、NHK「5月26日のブラタモリ・なぜ萩は世界遺産に?」で感じた歴史解釈の不確かさ・・・
 
 今日のNHK「ブラタモリ」は、山口県の萩市が舞台だった・・・

 一回行ったことがあり、また来てみたいと思わせた想い出の地である。

 ここが「なぜ世界遺産になったのか?」。

 番組が言うには、

  町の中心が湿地帯で、ここに藩校「明倫館」ほか市庁舎や図書館が置かれた。

  町には、ふんだんに「安山岩」という丈夫な石が使われた(町は火山帯の上)。

  士族たちはほとんど町から出て行き、屋敷跡は「夏ミカン畑」となった。

  「夏ミカン」は主要産業となり、町の道路や溝や石壁がそのまま保存された。

 以上が、「なぜ世界遺産になったのか?」の答えであった。

 しかし、,寮睫世涼罎如◆崗襪砲聾庁や公共施設が造られた」という
 間違った「歴史解釈」をしていた。

 明治17年の「諸兵配備表」で「山口県の陸軍はどうなっているかと言うと、

 ・第五軍管の第九旅団は、第11連隊・第12連隊とも広島城に置かれた。

 ・同じ第五軍管の第十旅団は、第12連隊が丸亀城、第22連隊が松山城に。

 明治40年の「陸軍歩兵の配置表」では、

 ・第五師団の第九旅団は、第11連隊が広島城、第22連隊が松山城に。

 ・同師団第二十一旅団は、第42連隊が山口城、第71連隊が広島城に。

 つまり、山口の連隊は「山口」に置かれ、「萩」には置かれなかったが、
 陸軍の師団・旅団・連隊の司令部や部隊は、全国の「お城」に置かれたのだ!

 これは、明治6年の「存城廃城令」(廃城令)により、全国の名城のうち
 「近代的軍隊」の司令部を置ける風格と敷地の広大さ、堅固さと交通便利性の
 あるものは、まず、「陸軍」の所有となり、残りのあまり重要でないと認定
 されたものは、「大蔵省」の所有となったのである。

 全国の名城の多くは、戦前は「軍隊」が、
 戦後になって「県庁や公共施設」が置かれたのだ!

 調べてみないといけないが、陸軍は「長州藩が幕末に藩庁を萩から移した山口
 (市)のお城」を選択し、日露戦争にそなえ、歩兵第42連隊を置いたのである。

 このために、萩は残された! ということなのだ!

 萩のお城は、あまりに海に近いため、帝国海軍の砲撃を受けやすく、
 敷地の広大さに欠け、第五師団の司令部のある広島城にも交通の便が悪い!
 そう、判断されたのではないだろうか?!

 では、なぜ、萩はそのまま士族の屋敷が残され、それが「夏ミカン畑」になった
 のだろうか?

 NHKは、「萩から4人の総理大臣が出た」と放送していた。

 伊藤博文、山県有朋、桂太郎、田中義一、4人の首相である。

 しかし、大事なことを抜かしていた!

 このうち、伊藤博文だけが文官出身で、残り3人が「陸軍大将」の出だった
 ということである。

 つまり、「萩は、長州藩閥の主流をなす長州軍閥の「ふ・る・さ・と」だった」
 のである。

 陸軍大将が3人出たということは、陸軍中将はかなり多く出た!
 少将や大佐などはもっともっとたくさん出た! ということなのだ。

 師団や連隊のある各地の名城や戦地を転々とした軍人ばかりでなく、
 政治家や実業家なども多数輩出したに違いない。
 彼らの多くは東京などに大きな屋敷を構えた。
 しかし、名誉のために「ふ・る・さ・との屋敷」を手放さなかった!

 「ふ・る・さ・との屋敷」は古くなれば取り壊されるが、敷地は売却せずに
 「夏ミカン畑」にしたのである。

 多分、歩兵42連隊のある山口に持って行けば、連隊の主計部が購入してくれた
 ものと想像する。余れば、広島の師団に持って行けばいいのである。

 真夏の炎天下の行軍や訓練で、兵士たちはへとへとになる。

 その時、美味しく、みずみずしい「夏ミカン」は、大事な「活力源」となり、
 「ビタミンCの補給源」となったのである。

 「ふ・る・さ・との屋敷」の溝は「水」を得るため、石垣は「激しい風雨」
 を防ぐためにも、大事に残され、壊れれば補修された」のである。

 萩が世界遺産に登録されたことは、嬉しいことである!

 しかし、「歴史解釈が不確か」だと、後世に悔いが残る!

 NHKは、先週の「天城越え」でも「歴史観の不在」を犯してしまった。

 本当に気をつけなくてはいけないと思う!

 

 

 

 

 

 
author:ぷるの飼い主, category:U‐University(大学の語源事典), 21:25
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