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NH系の誤認(その11)、「西郷どん」の真っ赤な〇〇! 西郷どんの息子菊次郎は、明治天皇のお姿を見ないで渡米した・・・
 
 今日11月4日の「西郷どん」!

 詳しい分析は、この際省略するが、ひとつだけ、

 西郷どんが奄美大島で愛加那との間にもうけた次男

 (実際は最初の男の子)菊次郎が明治天皇のお姿を見て、

 素晴らしいお姿に感動し、外国に行く決心がついたという件!

 これは、真っ赤なウソであった!

 明治天皇は、確かに、明治五年、東京を出発し、

 「中国地方・西国地方への巡幸に出かけられた。

 『近代日本総合年表』(岩波書店)によると、

 ・東京出発は、五月二十三日(西暦1872年6月28日)

 ・鹿児島着は、六月二十二日(7月27日)

 ・東京帰着は、七月十二日(8月15日)

 では、奄美大島から鹿児島へ呼ばれていた菊次郎はこの頃どうだったのか?

 「明治五年二月十八日(3月26日)

 横浜発のアメリカ号で渡航した留学生たち」

 という論文(西岡淑雄著)を読むと、こんなことが書かれている。

 「西郷菊次郎(鹿児島 米国 13歳 農業)」(P161)

 間違いなく、西郷どんの次男西郷菊次郎は天皇のお姿を拝見することなく、

 アメリカ号に乗って、アメリカに渡っていたのである。

 この留学生たちは、北海道開拓使が主にアメリカに派遣する一団、

 華族の子息たち、三井家が派遣する青年たちだった。

 西郷どんは、鹿児島の後輩である黒田清隆が開拓次官をしていた関係で、

 北海道開拓使派遣留学生の中に、13歳(多分満で12歳)の菊次郎を

 入れてもらったのであった。

 蛇足であるが、中国・西国巡幸に出かけられる直前、明治天皇は、

 大久保利通と伊藤博文の参内を許しているはずである。

 「そんな馬鹿な! ふたりは欧米に派遣されている」

 と思う人も多いだろうが、

 実は、大久保と伊藤は天皇の信任状(差遣国の元首が外交使節を信任する

 と、相手国の元首に差し出す書状)を取りに帰国していたのである。

 ・帰国 三月二十四日(西暦5月1日)

 ・横浜再出発 五月十七日(6月22日)

 すなわち、大久保と伊藤は明治天皇から信任状をもらうために国内に

 1ヵ月半ほど滞在して、再出発した!

 ふたりの参内は何度かあったに違いない(『明治天皇紀』に詳しいはず)。

 明治天皇はふたりからアメリカの発展ぶりを仔細にお聞きになり、

 中国地方・西国地方へお出かけになったのである。

 だから近代的な洋装の礼服で島津久光にお会いになったとも考えられる。

 「小説家は、自分の文章力に酔いしれ、歴史を書き上げる」

 しかし、

 「事実は、小説より奇なり」

 小説家は、歴史をまげてまで「歴史小説」を書いてはいけない!

 NH系も、歴史的な誤認があったら、小説家にそれを指摘し、

 物語の構成を書き直してもらう義務がある!

 今日もまたそれを無視した「西郷どん、新しき国へ」であった!

 

 
author:ぷるの飼い主, category:NHKの語源, 20:59
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がんの語源(その6)、ノーベル賞受賞者本庶先生の「がん薬オプジーボ」の語源!(その5)よりも科学的な語源解釈・・・
 
 「がん薬オプジーボ」の語源について、「がんの語源」(その5)に

 「想像的語源解釈」を書いたところ、それを読んだ「医学に強い友人」から

 「小野薬品」の「PD−1」を解説するHPに「オプジーボの名前の由来」

 が掲載されているという指摘を受けました。それを引用すると、

 以下のようになります。

 optimal(オプティマル=最適な)の「op」+

 「PD−1(たんぱく質)」の「pd」を上の「p」以下に続ける+

 Nivolumab(ニボルマブ=「オプジーボ」一般名)の「ivo」

 
 以上の足し算により、「Opdivo(オプジーボ)」としたことがわかり

 ましたが、この中の、「PD−1」と「Nivolumab(ニボルマブ)」

 の語源的解析がないと、「Opdivo(オプジーボ)」の語源はまだ

 闇の中と言えるでしょう。

 それを追求するには、本庶先生の「開発の足跡」をたどることしかない!

 ウィキペディアや石田靖雅論文を読むと、京都大学本庶研究室で研究して

 いた石田靖雅さんたちは、

 「1991年の中ごろ、免疫細胞が発現する「たんぱく質」を発見し、

 「プログラムド・セル・デス=予定された細胞の死」とし、

 その頭文字「P」と「D」をとって、「PDー1」と命名したようです。

 その後、石田さんは「PD−1」の研究から離れましたが、

 研究室では研究が続行されました。

 がん細胞が「PDーL1]を発現して、免疫細胞と結合することが

 発見され、免疫細胞ががん細胞への攻撃(アクセル)をなくすことが

 わかって来たとのことです。

 そこから、本庶研究室は、免疫細胞ががん細胞へ攻撃(アクセル)を

 なくさないようにするには、免疫細胞に「ブレーキ」をかけて、

 がん細胞と結合しないようにすることがカギだとわかりました。

 薬の開発としては、同時受賞となるジェームズ・アリソン博士などが

 開発した「イピリンマブ」(抗CTLA抗体、「商標名ヤーボイ」)

 があるため、本庶先生ならびに共同開発した小野薬品は、

 「Nivolumab(ニボルマブ=「オプジーボ」一般名)」」という

 一般名をつけて、日本の厚生省、米国のFDA、欧州へ申請し、承認を

 とることに成功しました。

 ここで、「ニボルマブ」の語源を解析してみると、

 アリソン博士らの「イピリンマブ」と語尾「mab(マブ)」が一致する。

 これは、「モノクローナル抗体」ではないか?! すると、

 「monoclonal anti−body」の頭3文字「mab」

 ということになって来る。

 「モノクローナル」は「単一のクローンから産生された」という意味で、

 「アンティ・ボディ」は、「抗体」という意味です。

 以上のことから、本庶先生たちは関連する医学用語の接頭語・語幹・語尾

 をつなぎ合わせながら、「Nivolumab(ニボルマブ)」という

 新薬出願のカギとなる「一般名」をつけたのではないかと推論します。

 ここからは、想像的語源解釈となりますが、先頭の「niv(ニヴ)」は、

 nib(ニブ=鳥の口ばし・ペン先・ものの先端)ではないかと思います。

 本庶先生は「ゴルフ」が大好きで、「人生最大の夢はエージシューターに

 なることだ」と仰っていますが、niblick(ニブリック=ゴルフの

 9番アイアン)は、この「nib(ニブ)」に由来します。

 顕微鏡で見ると、免疫細胞の先端である「nib」は、ゴルフの

 9番アイアンのように、ヘッドが大きいという特徴があったのではないか。

 「免疫細胞の先端部分をがん細胞が結合すると免疫が機能しない」という

 事実から、この「nib」に「Nivolumab(ニボルマブ)」

 という「モノクロール抗体」を先に結合させることが必要になります。

 次の言葉は「volume(ヴォリューム)」ではないかと考えました。

 現在では「分厚い本・量」という意味ですが、もともとは「巻く≫巻き物」

 という意味です。

 すなわち、「免疫細胞の「nib(ニブ)」にがん細胞の「PD−L1」が

 結合しないように、nibを巻いて、結合にブレーキをかける」という

 意味になります。「nib」の「b」を「v」に変換し、語尾「me」を

 mab(マブ)に取り換えると、

 「Nivolumab(ニボルマブ)」が完成するというわけです。

 この新薬の承認を得た本庶先生と小野薬品は、次に、「臨床薬として、

 必要な治療には多く使用してもらいたい」と、広く大学や医学研究者、

 病院やそこの医者や看護師さんに認識してもらうために、

 「OPDIVO(オプデーヴォ)」という商標名を開発し、特許を

 取得しようとします。その時、開発の出発点となった「PD−1」の

 「PD」を語幹に入れたネーミングがどうしても必要という意見が強く、

 最初に書いたように、3つの言葉を結合させた「商標」になったのです。

 ただし、この「PD」には、「プログラムド・セル・デス=

 予定された細胞の死」、すなわち「デス」が語素になっており、

 このままではどうかな、ということになったのではないでしょうか。

 そこで、「OPDIVO」を英語の発音通りの「オプディーヴォ」でなく、

 「オプジーボ」として、商標登録したのではないでしょうか?!

 ただし、この方が和名らしく、誰からもよく覚えられるネーミングに

 なっていると思っております。

 以上の語源説は、途中から、「想像的語源解釈」になっておりますから、

 その点は、くれぐれもご用心下さい!

 また、「W−GUNーMAN」としての小生は、「オプジーボ」の

 正しい使い方が絶対に必要であると考えます。

 そして、その方が、「オプジーボ」につながる「新がん薬分野」の

 持続的な開発につながるのではないか、と確信しております!

 最後に、本庶先生、ほかの研究者のみなさま、小野薬品の方々に

 あらためて「お・め・で・と・う・ご・ざ・い・ま・す」と

 申し述べたいと存じます・・・

 

 

 

 

 








author:ぷるの飼い主, category:がんの語源, 11:02
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がんの語源(その5)、本庶佑(ほんじょたすく)特別教授がノーベル医学・生理学賞を受したので、彼が開発した「がん薬オプジーボ」の語源! ただし、想像的語源解釈・・・
 
 おめでとうございます! 本庶佑(ほんじょたすく)特別教授・・・

 本当に嬉しいです・・・

 小生、正直に告白しますと、「W−GUN−MAN]なんです・・・

 だから、心底、う・れ・し・い!

 そこで、本日10月2日は、本庶佑(ほんじょたすく)特別教授が開発した

 「がん薬オプジーボ」の語源を発表します!

 ただし、本庶さんや薬の開発を行った「小野薬品」とはまったく関係ない

 人間ですので、想像的語源解釈ということで・・・

 「オプジーボ」はあくまで「薬のニックネーム・商標」で、

 英語名・和名ともに「正式名」は「ニボルマブ」(遺伝子組換え)です。

 「医薬品インタビューフォーム」(2018年10月改定)によると、

 「オプジーボ」のスペルは、「OPDIVO]となっていて、

 正しく発音するなら、「オプディーヴォ」となります。

 しかし、製造販売の「小野薬品」の商標としては、「オプジーボ」!

 この「OPDIVO]を、語源的に因数分解してみましょう・・・

 最初の「OP(オプ)」は、「opposite(オポジット)」の

 接頭語「op(オプ)」ではないかと思われます。

 「医薬品インタビューフォーム」には「抗悪性腫瘍剤」とか、「抗体」と

 あります。本来なら、「antibody(アンティボディ)」

 なのでしょうが、それは、もう多数の出願がなされているはず!?

 あとの「DIVO](ディーヴォ)は、

 「division(ディヴィジョン)=分割」ではないかと思います。

 「がん細胞(悪性腫瘍)」には、「免疫細胞」に働きかけ、

 「そのブレーキ役を果たす分子=タンパク質=PD−1を出させる

 ようにする」悪い作用があるようです。

 すなわち、「免疫細胞としての仕事をさせなくする」。

 「がん細胞」が「免疫細胞」の中に「生き残るが、がん細胞を攻撃しない

 免疫細胞」という「異端分子」をつくり、「がんの進行」を進める・・・

 本庶特別教授は、このがん細胞の「免疫細胞の分割=異端分子化=

 分派活動をさせて、本来の免疫機能を放棄させる」ことを

 抑制するための、「新薬・抗分割剤=オプディーヴォ」を開発した、

 ということになります。

 さらに考えると、「OP(オプ)」は、「operation

 (オペレーション)=手術」の「略語」であり、

 「手術からdivide(ディヴァイド)=分離して使う薬剤」という

 ような、意味合いもこめられているように思います。

 これが、「点滴剤の中に入れて使用される」からです・・・

 以上は、あくまで「W−GUN−MAN]としての想像的語源解釈

 なので、その点は、用心してお読み下さい!

このブログを読んだ「医学に強い友人」から正解のメールがあったので、

 以下に書いておきます!

 optimal(オプティマル=最適な)の「op」+

 PD−1(たんぱく質)の「pd」を上の「p」以下に続ける+

 nivolumab(ニボルマブ=一般名)の中の「ivo」

 これは、小野薬品の「PD−1」を説明するHPに載っているそうです。

 しかし、operation(オペレーション=手術)の「op」と

 optimal(オプティマル=最上の)の「op」は、共通して、

 ラテン語、さらには、印欧語の「op(オプ)=働く・大量につくる」

 に由来しますので、

 「免疫細胞が健全に働く」というようなことにつながるのではないかと、

 考えています・・・

 

 


 

 

 
author:ぷるの飼い主, category:がんの語源, 16:52
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NH系の誤認(その10)「日本人のおなまえっ」に「日本橋」の歴史的・地理的誤認があった!
 
 今日(9月27日)、7時半からNHKの「日本人のおなまえっ」を見た。

 秋葉原・日本橋・銀座などの東京の地名の「おなまえっ」がテーマだった。

 なかなか、面白かった・・・

 しかし、残念ながら、「日本橋」の地名に関して、「地理的・歴史的誤認」

 があった。

 この誤認は、日本人のほとんどが間違って認識していることなので、

 NHKだけの問題ではない。以下は、「です・ます調」で・・・

 ここで、この「語源のブログ」を読まれている人、ならびにNHKの

 番組をつくっている人に、質問を出します。

 「日本橋」がかかっている「川」は、何という「川」でしょうか?

 正解は、「日本橋川」!

 では、この「川」の上流は、何でしょうか?

 正解は、「江戸城の外堀」。

 この堀は、一橋、呉服橋、数寄屋橋、虎ノ門溜池をめぐる外側のお堀。

 新橋から東京駅を通って上野にいたる鉄道は、この堀を埋め立てて造成。

 日本橋川へは、外堀の内側にある内堀からも水が流れていたのです。

 ですから、日本橋の上に立って、西を向くと、

 日本橋川の上流に、江戸城の天守閣がそびえていたのです。

 そして、天守閣の左手には、日本一の富士山が秀麗な姿を見せていました。

 歌川広重の浮世絵「日本橋雪中」は、かなり忠実に描かれていますが、

 江戸城の上に富士山をのせるのは、失礼にあたると、富士をかなり左側に

 移し、構図的にややデフォルメしているのではないでしょうか?

 現代の地図で確認しますと、

 江戸城大手門・本丸は、日本橋の「ほぼ真西(やや北)、約1・7キロ」。

 それに対し、富士山山頂は、日本橋から「西南西、約100キロ強」。

 日本橋の上から見て、富士山は、「江戸城・西の丸(現在の皇居・宮殿)、

 から伏見櫓(ふしみやぐら)の上空」にそびえていたことになります。

 ですから、日本橋のかかった大通り(現在の銀座通り)に奥に

 富士山があるとするのは、「地理的誤認」となるわけです。

 「日本橋」というものが、「江戸城の内堀と外堀から流れ出る川に

 かかる川」という認識がないと、こういう間違いが起こるもの!

 そういう意味において「歴史的誤認」を犯しているとも言えるでしょう。

 僕は、「日本橋」の語源は、NHKの言う「(丸太の)2本橋」ではなく、

 「京都ではなく、日本各地へ出発する橋」という意味に由来する

 という説に賛成です。

 京都では、「五条通(国道1号)」と「堀川通」の交差点が出発点。

 交差点の中心から、向こうは「国道9号(山陰道)」。

 江戸時代的に言えば、「東海道の延長街道」と言うことになるのです。

 その「五街道」を整備した江戸幕府が「日本各地への出発点」として

 「日本橋」という名前をつけるのは当然のことだったと思います。

 ですから、「日本橋」の下流には、「江戸橋」がかかっている、

 というわけなんです!

 

 

 
author:ぷるの飼い主, category:NHKの語源, 20:39
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NH系の誤認(その9)、「西郷(せご)どん」の歴史誤認は多すぎる! これがまかり通ると、歴史好きが間違った歴史漬けになってしまう・・・
 
 これまで、「語源のブログ」のサブ・カテゴリーを「NH系の語源」と

 していたが、今日からは「NH系の誤認」としたい。

 その方が、「歴史誤認」の核心をつけると感じたからである!

 「歴史誤認」は、「語源の誤認」、「解説の誤認」、

 「スポーツ・ニュースなどの事実誤認」などを含めることにしている。

 さて、先週9月2日の大河ドラマ「西郷どん」の後半の場面のこと。

 鹿児島を訪れたイギリスのパークス公使が薩摩藩の接待に腹を立て、

 旗艦「ロイヤル・プリンス号」に帰ったところ、後を追った西郷さんが

 戦艦に乗り込んで、いやがるパークス公使と会見し、ついには

 「未来の日本の在り方・近代日本への期待」という点で意見が一致した

 という、ドラマの展開になっていた。

 これをアーネスト・サトウという通訳官が書いた

 『外交官の見た明治維新』(岩波文庫)で検証してみよう・・・

 その上巻P212に載っている。

 「ハリー卿(パークス公使)と提督(イギリス東洋艦隊司令長官)は、

 前年の夏の訪問の際に藩主(島津茂久公)とその父の島津三郎(訳注:

 島津久光)に合って、交歓したのであった」

 それを『西郷隆盛』(岩波新書・圭室諦成著)で再度チェックすると、

 「1866年6月17日、イギリス公使パークスと

 東洋艦隊提督キューパーは、薩摩藩の招きによって、軍艦三艘をひきいて
 
 鹿児島にやってきたが、このとき薩摩藩の歓待は、西郷の指図によって

 至れり尽くせりのものであった」(P74)

 以上により引用した2冊の「歴史書」の書き方が非常に近いことがわかる。

 すると「パークス公使が接待に立腹した」とするNH系の「西郷どん」は

 間違っていることになる。

 第2の誤認は、パークス公使が西郷に向かって誰何した時、ドラマでは、

 「薩摩藩家老、西郷隆盛と申します」

 と答えているが、上記『西郷隆盛』では、

 「その後、9月。西郷は家老につぐ重役、大目付に任ぜられた」

 となっており、「家老から2階級下の大目付」であったことがわかる。

 第3の誤認は、パークス公使の背後に立つ長身の男が西郷さんの

 「鹿児島弁」を英語に通訳しているシーンであるが、NH系の

 ディレクターは、「アーネスト・サトウ」を念頭に置いて、こういう

 配役にして演技させているものと想像できる。

 しかし、アーネスト・サトウが鹿児島に行くのは、

 翌1867年1月2日のことであった。

 「パークス公使から受けた指令は、長崎から鹿児島と宇和島に渡り、

 帰途兵庫に立ち寄れというものであった。そこでわたしは、〜
 
 1867年1月1日(慶応二年十一月二十六日)に〜アーガス号に

 搭乗し、〜翌日の午後早く、鹿児島に着いた」

 では、パークス公使は通訳を必要としなかったのか?

 1866年6月17日からの鹿児島滞在の時は、

 アレクサンダー・シーボルト、かの有名な医者シーボルトの長男が

 通訳をつとめた。彼は父とともに長崎の鳴滝塾で暮らしており、

 難解な「鹿児島弁」も父の弟子から聞き、よく理解していたようだ。

 そして、第4の誤認は、

 「未来の日本の在り方・近代日本への期待という点で意見が一致した」

 としたことだろう。

 アーネスト・サトウは、こう記している。P214、

 「家老の新納刑部は、わたしが薩摩藩主のあの上奏文を見たというので

 言及したのだが、それによって、薩摩藩が兵庫開港に反対したという

 重大な事実が明らかになった。そして、条約を勅許する代わりに、

 兵庫開港の中止を取り決めることを天皇(ミカド)に進言し、

 この旨を大君(タイクーン=将軍)に提示させたのは、1865年11月に

 外国代表が兵庫を訪問中に天皇に提出された、

 あの薩摩藩主の上奏文そのものであったのである」

 この件について、『西郷隆盛』には、こう書かれている。

 「(6月19日の正式会見後に書いた手紙で、西郷は)

 朝廷より五、六藩の諸侯に命じられ、もっぱら引き受け、

 兵庫港の運上は朝廷に相納め、万国普通の条約をもって相結び、

 信義の交わりその時こそ相ととのうべし」

 と、書いている。

 つまり、「日英(米ほか)修好通商条約」で決まった「兵庫開港」

 ではなく、「新条約(万国普通の条約)によって、新たに

 締結すべき事柄」にしようというのが、鹿児島藩や西郷隆盛の

 考えだったのであり、この時点で、イギリスと薩摩藩および

 西郷隆盛の考えは大きく違っていたことがわかる。

 そういう難解な「真実の歴史」をドラマ化するのは、難しいから

 NH系は大河ドラマでひどい「誤った歴史再現」を試みるのであるが、

 さて、今日9月9日の「西郷どん・第34回 将軍慶喜〜慶喜の陰謀・

 龍馬暗躍」はどうであろうか?

 これを書きながら、観てみることにしよう・・・

 

 

 

 

 
author:ぷるの飼い主, category:NHKの語源, 19:00
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